ファッションは時代によって変わりゆく。
ファッションには「流行」というものがあります。
例えば女子高生のファッションスタイルもここ何十年といううちに大きく変わっています。
明治期までは女子高生もほかの年代の方と変わらず、和服を着用してました。
そして戦争が終わり、徐々に女子高生の「セーラー服」というものが登場してきました。
しかしそのセーラー服も最初は短い靴下にひざ丈のものが主流でした。
そのセーラー服も、靴下が長くなり、ワンピース仕様のものになり、
ブレザーという新しい形にまで進化しました。
一時期は太ももまである靴下を緩く履く「ルーズソックス」というものも流行りましたよね。
現在では制服を少し緩めにし、リュックを学校カバンとして使用するスタイルが主流です。
ファッションというものは、こういった時代の変遷によって、大きく変化しています。
そしてファッションというのは、国や地域によっても時代は同じでも来ているものが異なっていますよね。
スカーフを巻くことが当たり前という国もありますし、反対にタンクトップ1枚というのが主流な国もあります。
このようにファッションというのは、国や地域によって違い、さらには同じ地域でも
時代によって大きな変化を遂げています。
今回の記事はそういった「ある地域においてのファッションの移り変わり」に焦点を当てていきたいと思います。
今回ご紹介する地域は”横浜”です。
横浜は昔からかわらず「港町」として栄えてきました。
いまでもその風情を残しつつ、中華街などの新たな文化が栄えています。
では、横浜のファッションの変遷とはいったいどのように起こっていったのでしょうか。
その変遷を今回はたどっていきたいと思います。
横浜とファッションの変遷とは?「海外と日本の文化が入り混じる街、横浜」
横浜はかつてはほかの地域と同じく、日本特有の和服が中心の街でした。
しかしペリーが来航して以来、横浜は日本のファッションと外国のファッションが入り混じるまさに国際交流のさきがけのような街になったのです。
そして横浜は現在では国際色豊かなファッション街へと変貌を遂げています。
アメリカンスタイルはもちろんとして、中華街ではチャイナドレスなどを販売しているお店も多く見かけます。
そんな横浜ですが、1970年代後半から1980年代初頭にかけて「ハマトラ」というファッションが一世を風靡したのをご存知ですか?
ハマトラというファッションは、「横浜トラディショナル」の略で、当時ハマトラより先に流行っていた神戸の「ニュートラ」に対抗するものです。
イメージは横浜にあるお嬢様学校「フェリス女学院大学」となっており、気品高いおしゃれなものが当時日本中で大流行しました。
「古くからの港町で、お嬢様のような恰好をして歩く」そういった姿が当時の方には憧れだったようです。
その後ハマトラの流行は徐々に衰退していきますが、横浜はいまでも海外と日本の融合地点として一味違ったファッションの文化を継承し続けています。
そういった様々な変遷を経て、今現在横浜はショッピングモールが立ち並ぶ一大都市となっています。
横浜駅にはそごうやルミネ、高島屋など、若い方からまだまだおしゃれをしたい50代の方まで幅広く楽しめるようなファッションスポットになっています。
横浜で、最高のおしゃれファッションを堪能してみませんか?
横浜は今でも海外文化と日本の伝統文化が入り混じる、唯一無のファッションスポットとなっています。
中華街でチャイナドレスを着るもよし、横浜港でアメリカンスタイルのファッションを楽しむもよし、少し外れたところで日本の伝統的な和服を楽しむもよし、そういったたくさんのファッションの楽しみ方をすることができます。
みなさんも一度、横浜で海外のファッションスタイルや、日本の伝統的なファッションを楽しんでみてはいかがですか?
きっと普段いつもと違う自分に出会えるはずです。