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提案力と心に残るおもてなしを継ぐ高島屋の歴史

 

 

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革新を継ぐ高島屋の歩み

創業者飯田新七(初代)は、1803年福井県に生まれました。26歳の時、京都烏丸で米穀商「高島屋」を営んでいた飯田儀兵衛、滋賀県高島郡出身)の長女、秀と結婚し婿養子となりました。その後新七は分家し、近隣に妻秀と家を借り、古着と木綿を扱う店を始めます。屋号は本家と同じ「高島屋」としました。

創業年の1831(天保2)年、一からのスタート、お金の工面に困り果てましたが、タンスからお秀が嫁入り用の着物を商品にと差し出し助けられ、古着商「高島屋」がスタートしました。当時は天保の改革が始まった頃で厳しい倹約令が施行されており、呉服店は軒並み商品が売れずダメージを受けていましたが、逆に古着屋は繁盛しました。

また伊勢神宮への参詣に来たおかげ参りの『おかげ年』に当たり、新七は時代の波にのりました。大きくなった「高島屋」は呉服を扱うようにもなり、商いの上で守るべき店用符丁を決め商人の心得や基本姿勢を示しました。

1833年、創業者初代飯田新七の長女、歌が生まれます。歌が19歳の時、上田直次郎を婿に迎えました。1856年初代隠居後、夫直次郎が二代新七を襲名しました。二代は博覧会への出品や貿易を始めるなど、高島屋発展の基礎を築きましたが、初代没後わずか4年後の1878年に亡くなります。

残された子供たちはまだ若く、家業の先行きが危ぶまれましたが、歌は男勝りの見識と統率力 によって、高島屋は存亡の危機を切り抜けました、そして三代(長男)、四代(次男)を育て上げ、この後、明治時代の呉服商として見事に発展させました。

高島屋と貿易明治維新後、開国した日本の存在が欧米でも知られるようになり、1876年、アメリカの商社スミス・ベーカー商会が来店し、帛紗(ふくさ)を大量に購入していきました。次第にお土産に美術織物や工芸品を求めて多くの外国人が来店するようになると、高島屋は1877年の京都博覧会より、国内外の博覧会に積極的に美術染織品を出品しました。博覧会での数々の受賞は、広く高島屋の評価を上げることとなりました。

そして1887年には貿易部を開設し、のちに貿易店「高島屋飯田新七東店」を新築しました。また1900年代初頭までには、横浜・東京・天津・リヨン・ロンドン・シドニー・ニューヨークにも出張所を開設。1916年には貿易部を独立し、高島屋飯田(株)を設立しました。こうして百貨店より先に貿易会社を株式会社として誕生させることになりました。

明治時代になると、パリ万博など国際的な博覧会に意欲的に出品し、数々の賞を受賞しました。その功績が認められ、皇居造営の際には調度装飾などの注文を受けるようにもなりました。1932年、大阪・難波のターミナルビルである「南海ビルディング」の誕生で、現在の高島屋大阪店が開店。さらに、1933年には東京・日本橋に地下2階地上7階建ての日本橋店を新築開店しました。

当時では大変画期的だった、全館冷暖房完備をいち早く取り入れていました。1階ホールの柱はイタリアから取り寄せた大理石張り、天井には豪華なシャンデリアを3本吊るし、当時、三井本館とともに贅を尽くした2大建築物と言われました。2009年、わが国百貨店建築初の国の重要文化財に指定されました。

1950年、百貨店戦後復興を遂げていく中、各百貨店は集客のためのアイデアを日々画策していました。そこで東京 日本橋店屋上に登場した子象が一大ムーブメントを巻き起こしました。子象は「高子ちゃん」と名付けられ、公開前に屋上までクレーンで吊り上げられたことが話題を呼び、初日には約17万人が押し寄せ、こどもたちの人気の的となりました。

1969年玉川高島屋S・Cが開店しました。百貨店と専門店が同居するという、かつてないコンセプトで駐車スペースと、ボーリング場施設をもつ国内初の本格的米国型のショッピングセンター(S・C)としてオープン。車社会を先取りし、新興住宅地を取り込んだ玉川高島屋S・C店は、今日興隆するその後の日本のS・Cの先駆け、手本となりました。

その後も高島屋は海外や地方主要都市にも開店させ、日本の百貨店の中で高島屋は盤石な位置まで上りつめ日本を代表する百貨店になりました。しかし今日、多様化した購買チャンネルがあるため、経営環境は厳しさを増しています。高島屋にも統合話はでていますが、現在は、大手では数少ない独立系の百貨店として孤軍奮闘しています。

 

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新旧が混在する高島屋の魅力

1933年に日本橋に建設された現・日本橋高島屋が2009年に百貨店建築では初となる国の重要文化財の指定を受けています。ショッピングがてら内部を見学すると、1階と2階に大理石の柱が見事な吹き抜けとなっており、さらには案内係が手動で操作するレトロなエレベーターと古き良き華やかなデパートの姿が多く現存しているのをご存知でしょうか。

そして重要文化財に指定された日本橋高島屋の館内を見学できるツアーがあります。要予約になりますが、コンシェルジュの案内で館内を見学し参加者には開店当時の絵葉書(複製)がプレゼントされます。※プレゼントに関しては変更になることもあります。参加費は無料です。見学日に時間がある方は古き良きデパートの姿を見ない手はないですね。

 

【予約先】
日本橋高島屋重要文化財見学ツアー係TEL03-3211-4111
毎月第2金曜11:00〜、15:00〜(2回)
各回所要1時間
参加費は無料

 

昭和初期の歴史的建築物でレトロな空間に改修を施して、2019年冬に滞在型ホテルにリニューアルオープンを目指す、高島屋東別館(大阪市浪速区)があります。

高島屋東別館は1937年に松坂屋大阪店として建てられ、1969年に高島屋が取得しました。アールデコ調の建物で、路面に沿って続くアーケード部分や、植物の葉をモチーフにした内装が特徴です。改装後の建物には宿泊施設などを備えた複合施設に生まれ変わることになりました。休館中の高島屋史料館も入居する予定です。

関西で急増する外国人観光客やビジネスマンを呼び込み、高島屋大阪店を含めたミナミへの来街者を増やす試みです。店舗を核にした周辺不動産の開発によって、エリア全体の価値を高める高島屋の街づくり戦略の一環として位置付けています。

建ててはすぐ壊す時代に、歴史的建造物を見直し価値を高める事業は老舗百貨店、高島屋ならではの魅力ある事業だと思います。世の中的にも古き良き物を見直す動きが広がることを期待したいです。

 

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いかがでしたか

革新を継ぐ、魅力的な高島屋は伝わったでしょうか。
創業当時から変わらぬお客様への真心あるおもてなしは今の高島屋にも受け継がれ、心を大切にして社会に貢献しています。

現在高島屋は、リアル店舗でもオンラインでも高島屋グレードの品質と品揃えを追求し、攻めのオムニチャネル戦略を追求しています。老舗百貨店が合併したため、売り上げ高のトップの座を明け渡していますが、もう一度高島屋ならではの提案力を持って首位奪還を果たしていただきたいです。

 

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