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世界的なハイクオリティ・ブランド、GIVENCHY(ジバンシィ)

 

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GIVENCHYのコンセプトは、「エレガンス」

ジバンシイのコンセプトは「エレガンス」という言葉に凝縮されます。
設立以来、どの時代においても変わらないコンセプトです。

有名顧客には、グレース王妃、大女優オードリー・ヘプバーン、ギネス家、グリマルディ家、ケネディ家、、、各界のセレブが並びます。

有名人を惹きつけたユーベルのデザインとは、どんなものだっかた?
それは、「貴族的な洗練性にカジュアルとシックを融合させた斬新なもの」であったそうです。
「エレガンス」が普段着にもなりうるという証明でした。

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GIVENCHYの歴史を辿る

■生い立ち・デザインの学び
1927年、ブランド創立者であるユベール・ド・ジバンシィは、フランスのパリ近郊・ボーヴェに生まれました。
5歳で父と死別し、祖父の元で育ちます。
パリ万博での衣装の展示を見たのがきっかけでデザイナーを志すようになります。
17歳で故郷を離れてパリに上京し、ジャック・ファットの見習いとしてクチュールメゾンに入社します。
ここで働きながら、フランスの国立高等美術学校であるエコール・デ・ボザールでデザインを学びました。

■キャリアを作るまで
1946年にはロベール・ピゲ、1947年にはリュシアン・ルロンでの勤務を経て、同年後半にエルザ・スキャパレリに入社します。
その後まもなく、ヴァンドーム広場にあるスキャパレリ ブティックのアーティスティック・ディレクターに就任し、デザイナーとしてのキャリアを着実に積んでいきます。

■メゾン設立~40年のキャリア
1952年、遂に、パリ8区のアルフレッド・ド・ヴィニ通りに自らの名を冠したメゾンを設立します。
自身初のコレクションで、建築学的なラインとシンプルな素材を組み合わせたエレガントなブラウスと軽やかなスカートからなる“セパレーツ”を発表します。独自の視点は高く評価され、華々しいスタートを切ります。
斬新なアイデアとシャープな感性が絶賛され、「モードの神童」と呼ばれるようになります。。

オードリー・ヘップバーンとの出会い~
1953年の夏、女優オードリー・ヘップバーンとの出会いは運命的なものになりました。
ヘップバーンは、『麗しのサブリナ』でジバンシィの作品を数多く着用しました。以後、長きに渡る友人関係が続きます。『ティファニーで朝食を』『おしゃれ泥棒』『シャレード』でも、ユベールの作品が着用されています。

■パフュームの制作
1957年、友人オードリー・ヘップバーンに捧げる自身初のパフューム「L’Interdit(ランテルディ)」を制作します。
商品の顔としてヘップバーンを広告に起用しました。

■メンズへの展開
1969年には男性向けプレタポルテコレクション「ジバンシィ ジェントルマン」を制作。

■引退
1995年、ジバンシィは自らが創業したメゾンを退きました。 後任デザイナーにジョン・ガリアーノを指名して引退。

ユベールの引退後のデザイナーは、ジョン・ガリアーノやアレクサンダー・マックイーン、ジュリアン・マクドナルド、リカルド・ティッシらに引き継がれました。

そして2017年、クレア・ワイト・ケラーが就任したことで、彼女の魅せる新しいジバンシイに、今世界中が注目しています!

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GIVENCHYに習う「エレガンス」な女性とは、、、

ユーベルがこんな言葉を残しています。

「女性は身につけるものでエレガントになるのではなく、どのように身につけるかでエレガントになるのだ」

女性の品格でも語られそうな言葉ですね。
ジバンシイが考える美しさとは、女性一人ひとりが、自分らしさ、自分がどうありたいかを選び取ることで表現されるものなのだそうです。

ジバンシイのスタイルは、貴族出身のユベールが持つ精神とフレンチ・シックにオードリーの可憐な奔放さを掛け合わせることによって築かれた経緯から、普段着にも通じる軽やかな「エレガンス」をイメージさせます。
皆さんもジバンシィで働き、ジバンシィならではの「エレガンス」漂う女性を目指すのはいかがでしょうか?