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銀座の街とファッションの変遷

 

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映画で楽しむ昭和の銀座の街とファッション

銀座は、日本有数の繁華街であり、観光スポットとして有名です。
休日の銀座中央通りの歩行者天国では、外国人観光客も含め、多くの人で賑わいます。
老舗デパートや、高級ブランドの旗艦店が立ち並び、街の雰囲気はとても上品です。

そんな銀座の街が現在のように発展していくまでには、何度も転機がありました。

江戸時代に銀貨の鋳造所があったのがきっかけで、「銀座」という地名になり、
明治維新の頃の二度の大火により、イギリス人建築家ウォートルスによる設計で、
耐火性のある煉瓦造りの建物の煉瓦街に生まれ変わりました。

道幅の拡張、ガス灯の点火、街路樹の植樹がその際に行われ、現在の銀座の街並みの基礎となりました。
ちょうどその頃に、新橋から横浜までの鉄道が開通し、新橋駅の駅前商店街にもなった銀座には、
西欧の輸入品や最先端の商品が集まり、洋食店、時計商、洋装店などが立ち並ぶようになりました。
そして、ショーウィンドウは賑やかに飾られました。
さらに、明治後半になると、勧工場と呼ばれる、百貨店のはしりのような場所が生まれました。

「銀ぶら」という言葉が生まれたのは、大正時代で、
銀座をぶらぶらと歩くという以外にも、
銀座でブラジルコーヒーを飲むという意味があるという説もあるそうです。
文化サロン的な役割を持った、カフェーが続々とオープン。
西洋の薫りとハイカラな雰囲気がますます増していきました。

しかし、関東大震災により、煉瓦街は壊滅的な被害を受けてしまいました。
復興していく中で、松坂屋松屋と、デパートが進出していきました。
屋上に動物園や水族館があったり、無料送迎バスがあったりと、
現在では驚いてしまうような施設やサービスが当時はありました。

昭和時代に入ると、三越がオープン。デパートと専門店が集まる、
ショッピング街としてますます発展していきました。
カフェー・バー・喫茶店もさらに増えて、夜のネオン街としても有名になっていきました。

その頃、銀座の街には、最先端の洋装をした若者達であふれていました。
この若者達は、「モボ」(モダンボーイ)、「モガ」(モダンガール)と呼ばれていました。
モボは、山高帽子・オールバック・ロイド眼鏡・セーラーパンツ・ステッキを、
モガは、クロッシェ・ショートカット(今で言うボブカット)・引眉・ルージュ・頬紅
ミディアム~ロングのスカート・斬新な柄の着物などを身にまとっていました。
アッパッパと呼ばれる、頭から被るタイプの木綿のワンピースもこの頃流行しました。

そしてまた、華やかな街に暗い影を落としたのが、第二次世界大戦です。
再び、街は空襲で壊滅状態になってしまいました。
その頃は、「贅沢は敵だ」のスローガンのもとに、華やかなファッションは規制され、
かっぽう着、モンペ、婦人標準服といった服を皆が身につけていました。

服部時計店松屋などが、連合国軍のPX(売店)として接収されますが、
商店は、バラックや露店などですぐに営業を再開して、
以前の賑わいを取り戻すのには時間はかかりませんでした。

物資不足の世の中で、手持ちの衣料を仕立て直して作った、更生服を作りました。
そこでは、アメリカの進駐軍が着ていたミリタリー・ルックが取り入れられました。
洋裁ブームに火が付き、ミシンを購入する人が増加。
1946年の文化服装学院の再開以降には、続々と洋裁学校が開校されました。
髪にパーマをかけたり、口紅を引いたりと、徐々にまた街に華やかな彩りが戻ってきました。

このように、崩壊と復興を経て、銀座は魅力的な街へと発展していきました。

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映画で楽しむ昭和の銀座の街とファッション

では、ここからは、戦後の代表的な映画から、銀座の街とファッションの変遷を紐解いていきたいと思います。

日本初の地下鉄であり、2017年には開業90周年を迎えた銀座線。
当時の雰囲気を再現したレトロ電車も話題です。
そんな銀座線の銀座駅に到着し、階段を上る頃に聴こえてくる発車メロディーは、
「銀座カンカン娘」です。

「銀座カンカン娘」は、1949年(昭和24年)に公開された映画の主題歌です。
主演は高峰秀子。この曲も高峰秀子が歌っています。
「東京ブギウギ」などが代表曲でブギの女王として知られる、笠置シヅ子も出演しており、
一緒に歌うシーンも多く観られます。
ミュージカルの要素の多い映画でありながら、落語のシーンもあるという面白さがあります。
そして、戦後の大変な時期に作られただけあって、人々の心を明るくしてくれるような軽快なストーリーです。

この映画の中の、ベレー帽にチェックのシャツ、オーバーオールにサンダルで歌うシーンは
とても有名でかわいいです。
フレアスカートを着こなしているシーンもあります。
ディオールが発表したニュールックが取り入れられているのかもしれません。

アメリカの文化に影響を受け、人々のファッションへの関心もどんどん高まっていきました。
メイクに関しても同様で、ファンデーションが使われ始めたのもこの頃です。
メイク用品といえば、資生堂が有名ですが、資生堂は銀座で創業した会社です。
資生堂パーラーはこの映画の公開の前年の1948年に開店しました。
当時の最先端のファッションを身につけた人々で賑わっていたのかもしれません。

この映画の主演の高峰秀子は、昭和初期から子役として活躍していて、デコちゃんの愛称で人気がありました。
この「銀座カンカン娘」、「二十四の瞳」、「浮雲」、「放浪記」、「名もなく貧しく美しく」など、
数々の名作を世に残し、2010年に他界しました。

複雑な生い立ちを持ちながらも、スターであることをおごらず、女優引退後はエッセイストとして活躍しました。
独自の視点を持ち、とても軽快な文章で、読む人をぐいぐいと引き付けます。
シンプルライフを実践する先駆けのような方で、派手なものを好まず、
黒やグレーの服を好んで着ていたようです。

女が階段を上る時」という作品では、衣裳も担当しました。
銀座のバーのマダムの役で、縞模様の着物に黒レースのショールなど、モノクロ映画に映えています。
是非、高峰秀子さんの作品に触れ、センスを磨いてみてください。

続いて、こちらも日比谷線の発車メロディになっている、「銀座の恋の物語」。
石原裕次郎の曲で、デュエット曲の定番ですが、こちらも同名の映画の主題歌となっています。

「銀座の恋の物語」は、1962年(昭和37年に)公開された映画です。
主演は石原裕次郎浅丘ルリ子
高度経済成長期の銀座の風景と、ファッションをたっぷりと堪能できる作品です。

浅丘ルリ子は銀座の洋装店の針子の役で、トレンチコートやスーツがよく似合っています。
ボーダーTシャツもインナーに着ていて、その頃全盛だったフランス映画の影響を感じます。
少女時代から現在まで、活躍し続けている浅丘ルリ子ですが、
1950年代から1960年代にかけての美しさは息をのむ程で、
清楚なファッションからモード系まで華麗に着こなしています。

そして、銀座出身の女優で、山内賢とのデュエット曲、「二人の銀座」が大ヒットし、
後に登山家となって話題になった、和泉雅子も出演しています。
赤いカーディガンに黒縁の眼鏡がとてもお洒落です。

この頃は映画の全盛期で、女優の美しさとカラフルなファッションが見ものです。
いろいろな映画に触れて、当時の雰囲気を味わいながら、おしゃれのヒントを探してみてくださいね。

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不動の人気を誇る銀座

銀座の恋の物語の上映から2年後、東京オリンピックが開催された1964年に、
みゆき通りを目的もなくぶらぶらする、「みゆき族」と呼ばれる若者が現れました。

男性は、アイビールックを崩した、バミューダパンツやコットンパンツを着て、
VANやJUNの頭陀袋を小脇に抱えていました。
一方、女性は、白いブラウスにぺたんこ靴、ロングスカート、スカーフやネッカチーフを巻き、
腰から長いリボンを垂らしていました。

ちょうどその頃創刊された、「平凡パンチ」も流行に拍車をかけました。
このような、ストリートカルチャーのはしりとも捉えられる、みゆき族ですが、
年内には、警察の取り締まりが入り、姿を消しました。

その後、ビートルズの来日により、イギリスのモッズのファッションが流行。
通な音楽を好み、三つボタンスーツ、ミリタリーパーカー、デザートブーツなどを愛用するようになりました。
その後、70年代にかけて、ヒッピー・ファッションに移っていき、
Tシャツ、ジーンズやフォークロアファッションを着こなす若者が街にあふれました。

ファッションは多様化し、70年代から80年代、さらに90年代にかけては、
パンクファッション、DCブランド、ボディコンシャス、トラッド、フレンチ、グランジ、ヒップホップと、
様々な移り変わりを見せてきました。
若者が集まる街も、新宿、渋谷と移っていきました。

そんな中、銀座では、SHIPSの一号店が出店したり、
数々の海外ブランドが日本一号店をオープンさせるなど、
街のブランド力はかなりのもので、確固たる人気を不動のものにしました。
そして、現在も新鮮な喜びを日々発信している街です。

銀座の街とファッションの移り変わりについて、みてきましたが、いかがでしたでしょうか。
歴史を知ってから街を歩いてみるとまた新たな発見があるかもしれません。
リンクスタッフィングの本社もある銀座。
ぜひ訪れてみてくださいね。